
Vol.25 『女系家族』

コートを着るほどでもないシーズンの防寒具としてベンリなのが、羽織。もともと羽織は男性の正装として定着したもので、女性が羽織を着るようになったのは江戸時代後期、深川芸者が“粋なオシャレアイテム”として取り入れたのが始まりだそうです。羽織は、室内で脱がなければいけないコートと違って、ジャケットのように室内で着ていても失礼になりません。しかし、男性の羽織が正装アイテムである一方で、女性の羽織姿は正装としては認められていない(女性の正装はあくまでも羽織ナシが基本)。女性の羽織は、そんな微妙なポジションに位置しているアイテムなのです。
そんな羽織の微妙さをうまく描いているのが、映画『女系家族』。大阪船場の老舗商店の当主が急死し、三人の娘たちへの遺産分配が発表されたのが、ことの発端。しかし、三人姉妹はそれぞれ遺産に不服である上に、さらに文乃という芸者あがりの妾(メカケ)がいることが判明。さっそく親族会議にその女を呼ぶことに。
長女(京マチ子)・次女(鳳八千代)・三女(高田美和)…と女たちが着物に羽織姿でズラーッと並んだ前に現れたのが、妾の文乃(若尾文子)。文乃は、藤鼠色に御所解き模様の小紋に、一つ紋のついた白っぽい藤色の短い羽織姿。襟は少し細く出して、衣紋もほとんど抜かないジミなつくり。そんな文乃が、死んだ当主の遺影が飾ってある仏壇に参ろうとすると、黒紋付羽織の叔母(浪花千栄子)がにじり寄り、
「ああ、もしもしもし! お仏壇の前に来たらアンタ、羽織ぬがな! だいたいアンタ、“ご本宅伺い”に来ましたら、はおってたかて、店先で脱ぐのが作法ですがな!(中略)ご本家代々の先祖お祀りしてあるお仏壇の前をアンタ! 脱いでもらわんと!!」
と言って、文乃の羽織に手をかけ、縫い目が引きちぎれるのも構わず脱がすのでした…。
羽織という微妙なポジション、妾という微妙なポジション、そしてそれらをコントロールしようとする側からの「“本宅伺い”では羽織を脱ぐのが作法」という論理。ここから分かることは、微妙なポジションに位置するものは、いつも「その場の力関係」に左右されるしかない、という平凡な事実と、だからこそ、自分が主導権を握るチャンスだってある、という平凡を超える可能性。現に、この映画の最後の最後で、妾の文乃はもういちど“本宅伺い”に現れるのですが、黒紋付羽織のまま仏壇を参り、それに対して誰も何も言うこともできないのです。
そんな「どっちでもあるし・どっちでもない」微妙さの、面白さよ。「どうせ微妙なポジションだし」とキレて投げ出してしまっては、着物の面白さも生きることの面白さも味わえず「損しまっせ」ということを『女系家族』は教えてくれる。私も何となくあまり好きじゃなかった羽織、もっと着ることにしよう、と思ったのでした。
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『女系家族』(1963年・大映)
監督:三隅研次
原作:山崎豊子
脚本:依田義賢
撮影:宮川一夫
衣裳考証:上野芳生
出演:若尾文子、浪花千栄子、京マチ子、鳳八千代、高田美和、二代目中村鴈治郎、田宮二郎、北林谷栄
You Tube:『女系家族』 *こちらのリンクは、予告なく削除されている場合がございます。
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Vol.24 『千年の恋 ひかる源氏物語』

平安貴族のキモノ…と言えば、十二単。と言っても、実際は12枚も重ね着していたわけではなかったそうで、季節に合わせて3〜8枚のあいだを加減するのが普通だったそう。日本の四季の寒暑の激しさを考えれば、気温に応じて簡単に脱ぎ着できる「重ね着」が、効率のよいファッション形式として選択されたのも当然といえば当然。そしてそんな重ね着全盛時代、模様はそれほど重視されませんでした(なぜなら重ねてしまうと模様は見えませんから)。とにかく大事なのは、色! その重ねた色のグラデーションや組合せこそが、「かさねの色目」と呼ばれて、ファッションにおける最重要美的ポイントとなっていたのです。
重ねた色の美の追求。そんな世界的にも珍しい美学を持つファッションを、たっぷり楽しむことができる映画が『千年の恋 ひかる源氏物語』。この作品では、『源氏物語』を執筆する紫式部の世界と、『源氏物語』の物語世界が交互に描かれてゆきます。ご存知の通り、『源氏物語』の主人公・光源氏は、光輝くような美男子。当然、女が放っておくはずないのですが、ご自身も無類の女好きで、自分の義母でありしかも天皇の妻でもある藤壷に恋焦がれて子どもまで生ませたり、さらに10歳の少女をさらってきて「自分好みの女」に育てようとしたり…。
そんな『源氏物語』ストーリーに疑問をもつのが、紫式部がつかえている藤原道長の娘、彰子。まだあどけない少女の彰子は、紫式部(吉永小百合)にこう訊ねるのです。
「どんな女が、光源氏さまのお好みの女ですか?」
これに対して紫式部は、こう答えるのです。
「男のかたの好まれる女とは、言うてみれば、男のかたにご都合のよい女」
…さすが、紫式部。こういうことを分かってない人に、世界最古の長編ロマンスなど決して書けやしないでしょう。そしてさらに「じゃあ女はどうなの?」と問うたなら、きっと「女の好む男とは、女に都合のよい男」と答えるはず。だって実際、「女が憧れてやまない殿方」として描かれるこの光源氏ときたら、身分が高くて、お金もちで、頭もよくて、何でもできて、かつ優しくて、しかも輝くような美男子、なんですから(笑)。しかもこの映画の光源氏ときたら、演じているのは女、なのですから!
紅と萌黄の濃き薄きに、薄紫の唐着(からぎぬ)を重ねた、あでやかな姿の藤壺(高島礼子)の、「青海波」を舞う光源氏(天海祐希)をじっと見つめるその目に、なにかを見たような気がしました。そう、女性の究極の願望、ここに極まれり。
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『千年の恋 ひかる源氏物語』(2001年・東映)
監督:堀川とんこう
脚本:早坂暁
出演:吉永小百合、天海祐希、常盤貴子、高島礼子、南野陽子、細川ふみえ、中山忍、竹下景子、かたせ梨乃、岸田今日子、鷲尾真知子、風間トオル、風間杜夫、竹中直人、山本太郎、段田安則、松田聖子、森光子、渡辺謙
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Vol.23 『緋牡丹博徒 お竜参上』

最近、登場人物が着物を着ている映画(要するに時代ものの作品)が多くなってきている気がするのですが、せっかく役者さんが着物を着ていても、そのことが演出にあまり活かされていないとちょっと残念だなと思ってしまいます。例えば、ステキな男性から名刺をもらったら、それを帯の間にそっとはさむとか、店で飲み物をこぼしたら、袖のたもとからハンカチを取り出すとか。そういう演出があるともっと奥行きが出るのになぁと思ったりして。
一昔前の日本映画は、そんな「着物のしぐさ」にからめた凝った演出に満ちていて、とても勉強になるのです。なかでもオススメは、拙著『色っぽいキモノ』でさんざん引用した『緋牡丹博徒』シリーズ。歌舞伎役者・尾上菊五郎の奥様になる前の富司純子(当時は藤純子)が、女博徒を演じた任侠映画なんですが、これがもう「美しくて色っぽくてカッコイイ」女。矢野一家二代目、矢野竜子、人呼んで、「緋牡丹のお竜」と、発します!
シリーズ6作目『緋牡丹博徒 お竜参上』のお竜さんは、ある流れ者の博徒(菅原文太)と知り合います。浅草の縄張り争いに巻き込まれながらも、お竜さんも文太も自分のためというより誰かのために闘ってしまう、そんな心優しい似た者同士。浅草を守るために敵を挑発し、追われる身となった文太は、しばらく遠方に逃げることに。
出発の日、雪の降る今戸橋の上で、お竜さんは文太に青い蛇の目傘をさしかけます。
「あなたは、やさしい人だ」
そう言って雪を見つめる文太に、お竜さんはひとつの布づつみを差し出すのです。
「汽車ん中で、あがってくださいまし」
ミカンがたくさん入った布づつみ、さらにお竜さんは袖のたもとから数個のミカンを取り出して、布づつみに入れようとする・・・と、ミカンがひとつ落ちて、雪の上をコロコロと転がる、追いかけしゃがんだお竜さんの、褄を持ち上げた途端あらわれる長襦袢の赤、素足の白さ。
ついた雪をはらってミカンをひとつ、渡された男はどうしたかって? それはもう、短く一礼して、蛇の目傘から体をスッと抜き、足早に去っていくしかないじゃないですか!
もしこれが、エナメルのバッグから取り出したキャンディだったら、男は女を抱きしめて「すぐに会えるさ」とか何とか言ったかもしれない。軽く頬にキスでもしたかもしれない。でもそうじゃなくて、お竜さんは青い蛇の目傘をさしかけながら、ミカンを薄紫色の紬(つむぎ)の袖のたもとから取り出し、転がったミカンを拾おうとして褄を持ち上げた。それだからこそ、男は何も言わずに立ち去ることが許される。そう、美学というものはその一部だけで成立するのではなく、それを含めた全体で成り立つものなのです。
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『緋牡丹博徒 お竜参上』(1970年 東映)
監督:加藤泰
脚本:加藤泰、鈴木則文
企画:俊藤浩滋、日下部五朗
出演:富司純子、菅原文太、嵐寛寿郎、安部徹、名和宏、天津敏、若山富三郎、沢淑子、汐路章、山城新伍、京唄子
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Vol.22 『夢の女』

今の若い女の子は20歳を過ぎたらもうオバサンだと思って落ち込む、とどこかで聞いたことがあるのですが本当でしょうか? 真偽のほどはさておき、女性にとって年齢は避けて通れない大問題。ちなみに私は30過ぎても年齢なんて気にしたこともないノンキ者でしたが、ちょうど34になった頃、自分を(嬉しくない意味で)オバサン扱いする人間に初めて遭遇し、女性と年齢の問題についてかなり考えるようになりました。
何が悲しいって、「若くない→女として終わり→人生終わり」といった論展開をされることほど悲しいことはありません。若かろうが若くなかろうが、女ざかりであろうがなかろうが、人生終わりなんてことは一生ない。人生が終わるのは、死ぬ瞬間だけなのですから。
そんなことを改めて思い出させてくれたのが、映画『夢の女』。歌舞伎役者・坂東玉三郎の監督作品で、舞台は明治時代の洲崎遊郭。主人公のお浪(吉永小百合)は、零落した家を助けるため商家の妾となり、生れた子供も手放して、ついに遊郭の遊女となってしまった身。その上、お浪に惚れ込み全財産を失った男がイキナリ自殺。お浪は「男を破滅させる毒婦」と新聞で叩かれ、自暴自棄になり人気も凋落、人生に絶望する日々を送るばかり。そんな時、昔お浪に良くしてくれた婆やが訪ねてきて、お浪をこう諭すのです。
「まだこれからではございませんか、御新様。あなたのご一生は、この先どんなご運が開けるか、わたくしはそれを楽しみに待っております」
こう言われたお浪は、それまでぼんやりうつむいていた顔をゆっくり上げ、
「そうね。まだこれからなんだわ、私の一生は。物事、そう思わなくちゃいけないのね。今から自分で自分に傷をつけることはないのね」
そう自分に言い聞かせるようにつぶやき、そして遣手婆のお松(樹木希林)に向かって、
「私、まだ若いんですもの! 今が一生の、行き止まりじゃあないんですもの!!」
と高らかに宣言し、元気良く階段を駆け上ってゆくのです。お浪はおそらく20代半ばの設定と思われますが、20歳を過ぎたらもう年増と言われた時代を引きずる明治時代、そして妾(=愛人)に娼妓(=売春婦)という経歴、毒婦という醜聞、このどれをとっても「女として終わり」「人生終わり」と悲観することはたやすいはず。だけど、彼女は元気よく前を見て駆けてゆくのです。
そして何よりも、このお浪を演じた吉永サユリが当時48歳であったという驚きの事実と、そのサユリに「私、まだ若いんですもの!」と言わせた玉三郎丈(*)の心意気! そう、自分で自分に傷をつける必要はない。ましては、他人をや。「今が一生の行き止まりじゃあない」。そんな言葉がスッと、あたかも初めから自分の体の中に存在したかのように腑に落ちて、今後数十年生きていくつもりの私の血肉になってくれるのだろうと、そう思うのでした。
(*丈:歌舞伎俳優などの芸名に付けて、敬意を表す接尾語)
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『夢の女』(1993年 松竹・セゾングループ)
監督:坂東玉三郎
原作:永井荷風
戯曲:久保田万太郎
美術:木村威夫
音楽:藤舎名生、杵屋榮津五郎
出演:吉永小百合、永島敏行、佐々木すみ江、片岡京子、長門裕之、樹木希林
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Vol.21 『幕末太陽傳』

江戸の遊女…と言われてたいてい連想するのは、吉原の花魁(おいらん)。江戸を舞台にした映画やドラマでも、遊女と言えば吉原の花魁が登場するのが普通ですよね。確かに、吉原は幕府公認の遊郭だったため格式が高く、吉原の花魁は遊女のスター的存在ではありました。しかし、吉原以外にも江戸にはたくさんの遊郭があり、それら非公認の遊郭は「岡場所」と呼ばれ、吉原よりも気軽に遊べる場所として非常に人気があったんだそうです。
そんな江戸の有名な岡場所のひとつが、品川。東海道(江戸の日本橋〜京都の三条大橋)第一の宿場町で、多くの遊女屋が軒を構えていました。川島雄三監督の映画『幕末太陽傳』は、この品川で随一の人気を誇った「相模屋」という実在した遊女屋を舞台にしているという点でも、ちょっと珍しい作品です。
品川の遊女、コハル(南田洋子)とオソメ(左幸子)は、No.1を競うライバル同士。だけど最近のオソメは売上が悪く、「板頭(いたがしら)」(=No.1のこと)の座はコハルに取られっぱなしの上、お金の工面にも困る日々。そんなある日、呉服屋が店にやってきて、「姐さん方、いかがでございます、晴れ着におひとつ」と、反物をサーッと広げます。キャーキャー言いながら反物にむらがる仲間の女たちをよそに、オソメだけが知らんふり。
コハル「オソメさん、オマエさんも見るくらいご覧よぉ」
オソメ「いいんだよ! わっちは」
コハル「(反物)一本ぐらいなら、おごるよぉ。わっちが」
オソメ「おや、コハルさん。せっかくのご親切だけど、オマエさんに晴れ着の心配までされる筋合いはないと思うけどねッ!」
プライドを傷つけられたオソメが逆上、言い合いはエスカレートし、ついに女同士の殴り合い勃発! 2人とも羽織を脱ぎ捨て、長襦袢に半幅帯姿で取っ組み合い、ついにコハルがオソメの帯をグルグルほどいていわゆる「あ〜れ〜」状態を引き起こしたかと思えば、今度はオソメがほどけた自分の帯をムチにしてコハルを打つ! さらには帯下のしごきもほどけ、周囲の人々に引き離されてもなお、足先で互いを蹴飛ばし合うシマツ…。
女性にとってキモノは、自分を美しく彩るための快楽の道具である。それはキモノを洋服と言い換えてみれば一目瞭然で、今を生きる私たちにも納得のいくことですよね。でもその裏を返せば、女性にとってキモノは、心やプライドや肉体までも傷つける凶器にもなり得る、ということでもあって。たぶんそれは、江戸時代に生きた品川の遊女であろうが、吉原の花魁であろうが、町娘であろうが、もしくは現代に生きる会社勤めの女性であろうが主婦であろうが、高校生であろうが、みな同じなのではないでしょうか。
この品川の遊女コハルとオソメの取っ組み合いの大喧嘩を見ながら、そんな“着るもの”をめぐる複雑な女心を、ほんの小さな痛みと共に感じたのでした。
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『幕末太陽傳』(1957年 日活)
監督:川島雄三
脚本:田中啓一、川島雄三、今村昌平
音楽:黛敏郎
出演:フランキー堺、金子信雄、山岡久乃、南田洋子、左幸子、菅井きん、石原裕次郎、小林旭、二谷英明、芦川いづみ、梅野泰靖、岡田眞澄、西村晃、小沢昭一
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